首里手 | 首里手は、泊手、那覇手と並ぶ、唐手の三大系統の一つであり、主に琉球王府のあった首里に住む琉球士族によって行われたものである。もともと空手発祥の地・沖縄では、琉球王国時代は空手の流派というものは存在せず、主に空手が盛んな三地域の地名を冠して、首里手、泊手、那覇手と呼ばれていました。一般に、首里手は柔軟性重視の要素があり首里手の代表的な型には、ナイファンチ、バッサイ、ピンアン、クーサンクーなどがあります。
首里手の代表的な空手家としては、佐久川寛賀、松村宗棍、糸洲安恒、安里安恒、本部朝勇、本部朝基兄弟、屋部憲通、花城長茂、船越義珍、喜屋武朝徳、知花朝信、摩文仁賢和、遠山寛賢 などがいる。
首里手の流れを汲む空手の流派としては、松濤館流、和道流、糸東流、本部流、小林流、松林流、少林寺流などがある。
|
泊手 | 泊港には琉球王府による交易船乗務員の宿舎があったことから、泊の人々は外国人との交流の中で独自の手を生み出した。一説によると、山東省からの漂着民が伝えたと言われているが、確証はなく、首里手や那覇手に比べると歴史背景はかなりあいまいである。技術的には「チャタンヤラのクーシャンクー」などの型を残しているが、代表的な名人である松茂良興作でさえ、首里手と並行して学んでいたりと、泊手のみの伝承者は無に等しいとされています。よって、松茂良興作が、中興の祖とされています。 |
那覇手 | 那覇の港は貿易港として栄えていました。そこに多くの中国人が行き来していたため、武術の交流も盛んに行なわれていました。那覇手は中国南派拳法の影響を強く受けて発展した剛柔流に強く影響した「武備誌」はまさに南派拳法の教本であり、その強い関係を表しています。 那覇手からは上地流や劉衛流などが出ましたが、中でも最大派閥として発展したのは、宮城長順によって創始された剛柔流でしょう 那覇手は琉球唐手の核であり、その那覇手の核とも云えるのが三戦(サンチン)という型であります。 |